琉球新報6月

2018年12月25日 08:00

K4護岸2カ所で砕石投入 「沖縄の未来は沖縄が決める」と市民ら抗議2018年6月4日

名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沿岸で進む新基地建設に伴う護岸工事では、4日午前も埋め立て区域の南端を覆うK4護岸の建設現場で、少なくとも二カ所で砕石の投入作業が確認された。

 砕石の投入作業は、護岸の端に設置されたクレーン車がダンプカーから砕石をすくい上げ、海中に投入する様子が何度も見られた。護岸上をダンプカーが何度も行き来し、約2分半でダンプ1台分のペースで砕石の投入を続けた。砕石は「バラバラ」と音を立て、水しぶきを上げながら海の中に消えていった。



拘束されてもなお、プラカードで工事に抗議する市民=4日午前、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沿岸

 建設に反対する市民らはカヌー15隻を出して、護岸工事現場の付近で抗議の声を挙げ続けた。工事現場を覆うように張り巡らされたオイルフェンスに市民らのカヌーが近づくと、沖縄防衛局の警備艇が「臨時制限区域に侵入しています」「速やかに退去してください」と拡声器で機械的に呼びかける声が響いた。

 オイルフェンスを乗り越えた市民のカヌーは、すぐさま警備していた海上保安庁のゴムボートに拘束されていた。拘束されてもなお、「沖縄の未来は沖縄が決める」「ジュゴンを守れ」とプラカードで訴える市民も。ある女性は、カヌーの上に仁王立ちし「工事をやめてください」とかれた様子の声で作業員らに訴えかけていた。

パイロットを救出 米軍F15、那覇沖で墜落

2018年6月11日

防衛省や沖縄県警によると、11日午前6時25分ごろ、米軍嘉手納基地所属のF15戦闘機1機が那覇市の南の海上に墜落した。操縦士1人が乗っており、那覇市から南へ約90キロの海上で緊急脱出した。米軍と航空自衛隊が操縦士を捜索。空自那覇救難隊のUH60ヘリが操縦士を救助した。

沖縄では年1回ペース 米軍機の墜落 復帰後49件目, 最多はF15の10件2018年6月12日

沖縄の日本復帰後に県内で起きた米軍機の墜落事故は49件となった。このうち機種別ではF15戦闘機の墜落が最も多く、1979年に配備されて以降、11日に起きた事故を含めて10件11機に上っている。F15は2013年5月にも沖縄本島東の海上で訓練中に墜落した。墜落9件は海上での墜落だが、94年4月には嘉手納基地から離陸した直後に嘉手納弾薬庫内の黙認耕作地に墜落炎上する事故を起こしている。

 県内では、2016年12月に普天間飛行場所属の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが名護市安部の海岸で墜落、大破した。ほかにも墜落事故の統計には含まれていない17年10月の東村高江の牧草地での米軍大型輸送ヘリコプターCH53Eの不時着・炎上、同12月の宜野湾市立普天間第二小学校の運動場へのCH53Eヘリの窓落下が発生。今年1月にもうるま市伊計島と読谷村の民間地に米軍ヘリが立て続けに不時着するなど、県や地元の再三の抗議や飛行中止の要請にもかかわらず、米軍機に関する事故発生に歯止めが掛からない事態となっている。
 また、17年8月に普天間飛行場所属のMV22オスプレイがオーストラリア沖で墜落し乗員3人が死亡するなど、在沖米軍の所属機が沖縄以外の場所で起こした事故もある。

「撤回」表明、7月前半か 辺野古埋め立て承認 知事判断が焦点、慎重論も2018年6月16日

 沖縄県名護市辺野古の新基地建設に向け、沖縄防衛局が土砂投入の開始日を8月17日と県に通知したことを受け、翁長雄志知事は土砂投入前の埋め立て承認撤回に踏み切るかどうか慎重に見極めている。早期撤回を求める声が高まる一方、今秋の知事選前に司法闘争が終わることを懸念する慎重論もくすぶる。土砂投入を止めるには、日程上、7月前半までに撤回を表明する必要がある。「環境保全措置などについて看過できない事態となれば、ちゅうちょすることなく必ず撤回する」と明言する翁長知事の最終判断に注目が集まる。

渡具知名護市長、辺野古「容認」徐々に 自公、市議選も「辺野古隠し」へ2018年6月16日

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設について、名護市の渡具知武豊市長はこれまで「コメントする立場にない」「国と県の行方を注視する」と慎重な姿勢を崩さずにきた。しかし、8月17日以降に土砂埋め立てが実施されることを受け「工事は既に進んでいる」「市の権限で止めることはできない」と発言するなど、辺野古移設工事を容認する考えを徐々に表すようになった。

 辺野古移設工事について、市や市議会レベルでは「止めることはできない」とする構図を打ち出してきていて、工事は「やむを得ない」とする消極的容認の姿勢がうかがえる。
  

日本政府にも抗議決議 中城村議会 F15墜落で異例対応2018年6月16日

米軍嘉手納基地所属のF15戦闘機の墜落を受け、中城村議会(与那覇朝輝議長)は15日の6月定例会最終本会議で抗議決議を全会一致で可決した。事故原因が明らかにならない中での同型機の飛行再開を強く批判し、全ての米軍機の飛行禁止を求めた。日本政府に米軍への対応を求める意見書は提出せず、決議の宛先には、首相や防衛相など、日本政府の機関も含める異例の対応を取った。

 決議は、これまでの事故の際も原因究明がされない段階で米軍が飛行を一方的に再開している経緯に触れた。日本政府がこれを事実上追認していることを「問題解決のための実質的行動を何一つ行っていない」と批判した。こうした対応が繰り返される中での今回の事故は「起こるべくして起こった事態」だと指摘した。「中城上空も飛ぶ同型機の飛行再開は容認できない」とし、米軍機全機を飛ばさないよう強く求めている。
 宛先は駐日米大使、在日米軍司令官、首相、外相、官房長官ら。

政府、辺野古工事の手続き加速へ 8月土砂投入 名護市長との「協議」急ぐ2018年6月18日

米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設を巡り、8月中旬に埋め立てに着手する政府と、前知事の埋め立て承認「撤回」に踏み切る県の攻防が激化している。その一方で、政府にとって移設工事を進めるためには名護市との「協議」や市の「許可」を得る手続きを要する。政府は2月の名護市長選直後から、辺野古移設に反対しない渡具知武豊市長に同意を取り付けるための準備を進めている。

 名護市辺野古の大浦湾では、護岸の建設工事が着々と進み、海域の護岸の一部が閉じようとしている。工事関係者は「護岸が閉じたら、どんどん土砂を投入する。もう後戻りできない」と話しており、8月中旬の土砂投入は、20年以上続く移設問題の大きな節目となる。

 仲井真弘多前知事は、在任中に仮設道路や辺野古沖の護岸建設に関する追加申請を承認し、現在まで工事が進む根拠となった。移設に反対していた名護市の稲嶺進前市長は、市長権限を行使して沖縄防衛局からの協議や申請に応じてこなかった。本体工事に必要な作業ヤード整備予定地の辺野古漁港の使用許可もその一つ。稲嶺前市長が申請に応じなかったため、工事を進めたい防衛局は名護市の関与を回避しようと工法を変え、移設を容認していた仲井真前知事に申請した。

 仲井真前知事は作業ヤード代替地としての仮設道路や、中仕切り護岸の追加申請を退任4日前に承認。完成した仮設道路や中仕切り護岸は現在、毎日資材を積んだダンプカーが往来し、工事の進ちょくを支えている。翁長雄志知事就任後は、県と名護市両方が移設反対の立場で協力し、埋め立て承認取り消しやその後の和解、裁判などもあり、工事が進むのに一定の歯止めがかかっていた。
 いくつかある市長権限の中でも、防衛省が工事を進める上で不可欠なものと重視するのが、美謝川の水路切り替えだ。防衛省関係者は「特に重く、避けられない手続き」と解説する。
 美謝川は名護市管理の辺野古ダムからキャンプ・シュワブ内を通り、大浦湾へと流れ出る。移設工事により河口部分が埋め立てられることから、政府は名護市の条例に沿って、流路を変更するため市と「協議」する必要がある。
 渡具知市長の就任で、政府にとっては手続きを進めやすい環境ができた。加えて、政府は辺野古崎の南側の海域から先行して埋め立て工事を進めるよう順序を変えたため、美謝川の切り替えに関する「協議」までに要する時間的余裕もあるとみられる。防衛省関係者は「丁寧に説明していく」と慎重に対応する考えを示す。
 一方の渡具知市長は「法令にのっとって対応する」として、今後、手続きを進める姿勢を見せる。渡具知市長のゴーサインで今後、工事が進むことになり、渡具知市長を全力で支援した安倍政権は秋の知事選をにらみ、次々と移設計画を加速させる見通しだ。

「これ以上沖縄に基地はいらない」 辺野古K4護岸、工事進む2018年6月20日

米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設で沖縄防衛局は20日午前、米軍キャンプ・シュワブ沿岸のK4護岸建設現場で砕石の投下作業を進めた。

 風が強く海が荒れる中、市民らは抗議船1隻に乗って「これ以上、沖縄に基地はいらない」などと声を上げた。

識者「県民感情逆なで」 沖縄戦での反感強く

2018年6月24日


「慰霊の日」に自衛隊員に訓示し、写真撮影する小野寺五典防衛相(中央)=23日、那覇市の海上自衛隊那覇基地

 「慰霊の日」の23日、県内の自衛隊基地を視察した小野寺五典防衛相は自衛隊員を前に訓示し、北朝鮮や中国の動きに触れて自衛隊の必要性を強調した。記者会見では米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設への理解を求める発言もあった。日本軍が住民を巻き込んで多くの犠牲者を出した沖縄戦。「軍隊は住民を守らない」という教訓が指摘されている。不戦を誓う「慰霊の日」に自衛隊を行脚し、記念撮影では笑顔も見せた防衛相に、県内からは「県民の感情を逆なでする」との批判の声も上がっている。

 小野寺氏は糸満市の平和祈念公園を足早に去ると、黒いかりゆしウエアから背広姿になった。海上自衛隊那覇基地のP3C哨戒機用格納庫では、制服姿の海上自衛隊員が整列し敬礼で迎えた。小野寺氏は北朝鮮の船舶による「瀬取り」や中国潜水艦の尖閣諸島周辺の接続水域航行に触れ「諸君らなくして我が国を守ることはできない」と自衛隊の存在意義を強調した。
 小野寺氏は那覇基地で開いた会見で「慰霊の日」に部隊を視察したことについて記者に問われ「大戦でつらい思いをした県民に寄り添う形で部隊の任務を運用してほしい。そのような思いで部隊を視察し、訓示した」と説明した。
 翁長雄志知事が平和宣言で辺野古移設が米朝会談後の緊張緩和の流れに「逆行する」と発言したことに反論も。「在日米軍基地はこの地域の安全保障上重要な役割を果たしている」とし、辺野古移設に理解を求めた。「北朝鮮は核弾道ミサイルについて何ら具体的な動きは示していない」と警戒の必要性を強調した。
 沖縄戦では日本軍が住民を虐殺したり壕から追い出したりした。軍隊に対する県民の反感は根強い。沖縄が日本に復帰し、自衛隊が配備されることになった際、県民から強い反発があった経緯もある。
 石原昌家沖縄国際大名誉教授は「県民は沖縄戦で日本軍によって犠牲を受けたと認識し『自衛隊=日本軍』と反発してきた。追悼式への参加日程を利用して部隊を激励したかのように見え、県民の感情を逆なでする」と批判した。
 県平和委員会の大久保康裕代表理事は「朝鮮半島が緊張緩和に向かう流れがあるからこそ『北朝鮮や中国の脅威はまだあるんだ』とアピールする意図があったのではないか。脅威がなくなれば、自衛隊の必要性もなくなる」と分析した。

辺野古 高さ制限超71戸 新基地周辺 小中学校、公共施設も2018年6月27日

名護市辺野古の新基地が完成した場合に設定される周辺の高さ制限を巡り、県議会与党や市民団体、経済界などでつくる「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」は26日、県庁で会見し、辺野古と豊原の両集落の一部で実施した測量調査の結果を発表した。久辺小中学校や豊原地区会館など7公共施設のほか、高さ制限に抵触するとみられる民家やマンション71戸を確認したと明らかにした。その結果を踏まえ、同会議の代表らは「この地域は新基地建設に適さない」と訴えた。

 高さ制限は航空機の安全を保つために統一施設基準として米国が定めている。滑走路から2286メートルの範囲に45.72メートルの高さ制限が設定される。辺野古新基地の標高約8.8メートルを足すと、約54.52メートルより高い建物があってはいけないことになる。

 同会議の測量によると、久辺中学校の校舎は63.57メートル、久辺小学校は62.7メートルで、制限を超えている。高さ制限に抵触する恐れのあるマンションは4棟あり、部屋数は少ない棟で24室、多い棟は50室に上る。そのほか、名護防衛事務所や久辺郵便局、沖縄北部雇用能力開発総合センターなどが制限の高さを超えるとしている。

 調査は、同会議が独自で測量事務所に委託し実施した。建物自体の高さを測れない民家などは敷地や周辺道路の標高を測り、類推した。豊原を通る国道329号は53.41メートル、豊原集落を通る道は約53~54メートルで、一般的な建物がその高さの上に建てられれば制限を超える。オール沖縄会議は今後、調査結果に基づいて関係機関に新基地建設中止を要請することも検討している。

 オール沖縄会議に参加しているヘリ基地反対協議会の安次富浩共同代表は「新基地建設計画当初の沖合案では陸地と基地の間に距離があったため、高さ制限は問題視されなかったのだろう。沖縄電力には送電塔の撤去を持ち掛けているのに、小中学校には話をしていない。報道されなければ、まだ隠していたかもしれない」と指摘した。

14歳が読み上げた「平和の詩」の反響広がる 著名人も絶賛ツイート2018年6月26日

「慰霊の日」の6月23日、沖縄県糸満市の平和祈念公園で行われた沖縄全戦没者追悼式で、浦添市立港川中学校3年の相良倫子さんが読み上げた自作の「平和の詩」がインターネット上で反響を呼んでいる。多くの政治家や芸能人、アーティストら著名人がツイッターなどで詩の内容や朗読を絶賛している。

 「平和の詩」の題名は「生きる」。不戦を誓い、未来の平和を築く決意が込められている詩の内容はもとより、追悼式での7分半に及ぶ力強い朗読にも温かい拍手が送られた。

 音楽評論家の湯川れい子さんは「素晴らしい決意の表明であり、見事な自作の詩、力の籠もった言葉でした」と評価した。朗読には「文字を読むことなく、輝きに溢(あふ)れた眼力」「この人の20年後を見守っていて上げて下さい。この人が輝ける日本でありますように」とつづった。

 人気ロックバンド、アジアンカンフージェネレーションのボーカル、後藤正文(ゴッチ)さんは「とてもいい。僕はこういう詩にこそ『愛国』を感じる。郷土への愛と、未来に手渡すべきもの」「何度観ても鳥肌が立つ。センテンスに合わせて表情が変わる。言葉と身体や感情の距離になにかがつかかっていないように感じる」などと絶賛した。相良さんの詩や朗読について4回に渡って投稿した。

 落語家の立川談四楼さんは「胸を打たれた。73年前の戦禍に想いを馳せ、戦没者を哀悼し、沖縄の美しさを謳い上げ、平和を希求するこの心。これを本当の愛国心と言うのだと。変に抑揚をつけない相良さんの読み方もよかった。名文は真っすぐに届くのだ」とつづった。

 漫才コンビ、ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんは朗読の動画を示し、「今日はどのニュース番組もこれをどんどん取り扱って欲しい。すごい」と書いた。

 歴史学者の住友陽文さんは「名文とあると同時に、現代史の史料として長く保存されるべき文章だ」と絶賛した。

生きる

        浦添市立港川中学校3年 相良 倫子

私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

私は今、生きている。

私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

萌え出づる山の緑、

優しい三線の響き、

照りつける太陽の光。

私はなんと美しい島に、

生まれ育ったのだろう。

ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

私はこの瞬間を、生きている。

この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ

私の生きる、この今よ。

七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

燃え尽くされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。

手を取り合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

心から、誓う。

私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、

絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、

宗教を超え、あらゆる利害を越えて、

平和である世界を目指すこと。

生きる事、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭わないことを。

あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を

一緒に生きているのだ。

今を一緒に、生きているのだ。

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。

 

二重の柵、抗議排除 辺野古ゲート前42メートル 防衛局、深夜に設置2018年7月16日


新基地反対の市民らが座り込む場所に、新たに設けられた赤白の交通規制材。高さ約4メートルの柵(奥)も設置された=15日午後2時ごろ、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ前


 【辺野古問題取材班】沖縄防衛局は、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ前の工事車両用ゲート前で進めていた新たな柵の設置について、15日午前6時までに作業を終えた。柵は新基地建設に反対する市民が抗議活動で使ってきた場所に設置され、事実上、座り込みの抗議はできなくなった。政府は8月17日にも海に土砂を投入して建設工事を本格化させる予定だが、建設への抗議の声を上げる場も奪う形となり、市民の反発がより激しくなるのは必至だ。

 目撃者などによると、沖縄防衛局は14日午後11時ごろに作業に着手した。国道329号の南向け車線の路側帯に、新たな柵となる高さと横幅が各約1メートルの交通規制材42個を設置した。これまでゲートの規制で使われていた高さ約4メートル、横幅約1・7メートルの緑色の柵を国道側に移動させ、間に人が通れる60センチほどのスペースのみを確保した。これら2種類の柵は工事車両用ゲートを覆うように、約42メートルにわたって設置された。

 工事に合わせ、道路管理者の沖縄総合事務局は、抗議する人たちが座り込みの際に使っていたブロックや木材などを移動させた。
 柵の設置について沖縄防衛局は「歩行者と車のさらなる安全、円滑な通行を確保するため」と説明する。柵は一部固定されているが、車両の出入り口部分は固定されていない。連休明けの7月17日にも工事車両用ゲートを使い、資材搬入を実施する予定だ。
 15日午後0時半ごろにゲート前を訪れた県の吉田勝広政策調整監は「道路上に交通規制材を置くことは危険だ。沖縄防衛局がこのような行為をして許されるのか」と指摘した。柵の設置を知り、那覇市から駆け付けた親盛節子さん(66)は「市民が抗議する場所を奪うようなやり方だ。みんなが寝静まった夜中に柵を設置するのはひきょうだ。反対する者を徹底攻撃する政府の思惑が見える」と憤った。

 【辺野古問題取材班】日付が変わろうとする14日深夜、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前で新たな柵の設置作業が突然始まった。新基地建設に抗議する人々が座り込む場所を封じ込めるように、作業員は柵を取り付けていった。駆け付けた市民らは「県民の裏をかくようなやり方だ。移設がやましいことだと言っているに等しい」「抗議する場を奪うな」と批判した。 

 沖縄防衛局は作業を午後11時ごろから始めた。新基地建設を進める沖縄防衛局やシュワブ前の国道329号を管理する沖縄総合事務局の職員、民間警備員や作業員など、少なくとも80人余が作業した。
 午後11時20分ごろ、現場付近を車で走っていた中原貴久子さん(58)=名護市=は、柵設置に向けた資材を積んだトラックや作業員を乗せた車を目撃し、異変に気付いた。関係者や作業員があっという間に集まり、設置を始めたという。
 中原さんは取材に「平和を求め、抗議をする場さえも県民から奪うのか。移設が正しいと政府は主張するなら、昼間に堂々と作業すればいい。今回のやり方はとてもひきょうだ」と憤った。
 作業員らは「交通規制材」と呼ばれる赤白の柵の容器に、おもしとなる水を注入したり、クレーンで高さ4メートルの柵をつり下げて設置したりした。翌15日午前6時までに作業を終えた。現場には未明から情報を聞いた人々が集まり、柵の設置をしないよう抗議の声を上げた。
 ゲート前で抗議を続けてきた沖縄平和運動センター議長の山城博治さん(65)は午前8時半ごろ、現場に駆け付けた。山城さんは「抗議する市民への弾圧だ。新基地の完成まで10年ほどかかるともいわれるが、行政機関の沖縄防衛局はその完成まで、国道や歩道を柵で規制し続けるつもりか。その権限はないはずだ」と強調した。