琉球新報4-5月

2017年06月12日 23:54

うるま市長選、島袋氏3選 山内氏に5700票差  2017年4月24日

任期満了に伴う、うるま市長選は23日投開票され、無所属現職の島袋俊夫氏(64)=自民、公明推薦=が3万1369票を獲得し、無所属新人で前県議の山内末子氏(59)=社民、共産、社大、自由、民進推薦=に5753票差をつけて3期目の当選を果たした。

 投票率は60・70%で、8年前の前回(62・55%)より1・85ポイント下がった。

 市長選では経済振興や子育て支援、失業率改善や所得向上などが問われた。島袋氏は、経済振興を中心に中城湾港新港地区への企業誘致や「市民協働のまちづくり」を掲げ、市政継続を訴えた。

 今回の選挙は、1月の宮古島市、2月の浦添市と続く市長選と同様に翁長県政と政府与党との"代理戦"の様相を呈していた。島袋氏を推した自公は、来年1月の名護市長選や冬の県知事選に向け弾みをつけた。

 島袋氏は前回の選挙戦と同様に自公の支持層を固めたほか、出身地で大票田である具志川でも票を積み上げた。

 当日有権者数は9万4629人(男性4万6953人、女性4万7676人)。投票総数は5万7439。有効投票数は5万6985、無効票は454。

支援者冷静に票積んだ結果

 島袋俊夫氏の話 支援者に心から感謝する。市民の良識が問われる選挙だった。多くの支援者が冷静に、着実に一票一票を積み上げた結果だ。12万2千市民の期待を、夢を、必ず実現してみせる。

「ファシズムへの一歩」 東京「沖縄ヘイト」議論   2017年4月24日

米軍基地建設に反対する沖縄の市民を蔑視する言説が流布していることを問題視するシンポジウム「ストップ! 沖縄ヘイト-メディアの目線を問う」(沖縄シンポジウム実行委員会主催)が23日、東京しごとセンターで開かれた。3人のパネリストが「沖縄ヘイト」の現状を報告し、反論していく重要性を指摘した。約180人が参加し、熱心に話を聞いた。

 精神科医の香山リカ立教大教授は「政府によるメディアの統率や管理が進んでいる。ファシズムの完成の第一歩として巧妙に沖縄ヘイトが利用されている」と強調した。

 ジャーナリストの安田浩一さんは東京MXのテレビ番組「ニュース女子」が基地建設に反対する市民をテロリストに例えるなどしたことについて「番組の一番の問題は現場を取材していないことだ。出演者がただひたすら市民をあざ笑っていることが許せない」と話した。

 木村朗鹿児島大教授は「ヘイトスピーチは民主主義の危機であり、ファシズムの広まりの一つだ。メディアと権力が一体化して情報を操作し、真実が隠されている。そんな情報を人々がうのみにする状況が生まれている」と語った。

 前田朗東京造形大教授が進行役を務めた。シンポジウムは、沖縄の自己決定権を考えることを目的に行われ、今回5回目。

辺野古 護岸着工 政府、海に投石強行  2017年4月25日

米軍普天間飛行場の移設先とされる名護市辺野古の海域で政府は25日午前、新基地建設の埋め立ての第一段階となる護岸工事に着手した。午前9時20分、作業員が砕石をクレーンで海中に投下した。多くの県民が県内移設に反対し、県も事前協議や岩礁破砕許可申請の必要性など国の手続き不備を指摘する中、政府は工事を強行した。1996年の普天間飛行場返還合意から21年、辺野古新基地建設問題は埋め立て工事という新たな局面を迎えた。

 翁長雄志知事は「あらゆる手法」で工事を阻止すると表明しており、今後は県による工事差し止め訴訟や埋め立て承認撤回の時期が注目される。

 護岸は石材を海中に積み上げ、埋め立て区域の囲壁を作るもの。一部護岸ができ次第、土砂を海中に投入する埋め立ても進める。大量の石材や土砂が海中に投下されるため海の原状回復は困難となる。

 辺野古新基地建設問題を巡っては2013年12月、当時の仲井真弘多知事が埋め立てを承認した。14年11月の知事選で辺野古新基地建設阻止を掲げた翁長氏が当選し、15年10月に埋め立て承認を取り消した。国は違法確認訴訟を起こし、最高裁は16年12月、国勝訴の判決を出した。

「われわれは諦めない」 辺野古護岸工事でゲート前市民   2017年4月25日

米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を巡る新基地建設で25日午前、米軍キャンプ・シュワブゲート前には約70人の市民が集まった。午前9時半ごろ、海上から工事着手の連絡を受けると、参加者は海の方角に向かって「われわれは諦めないぞ」「さんごの海をつぶすな」と声を上げ、拳を握って高く掲げた。

 集まった市民はゲート前で肩を組んで歌を歌い、新基地建設阻止の思いをあらためて決意した。「これから工事が止められなくなるわけではない」として、今後も声を上げ続けることを確認した。通常午前9時ごろからゲートに進入する工事車両の搬入はなかった。

 朝からゲート前で座り込みをしている富樫守さん(75)=旧姓・渡嘉敷、読谷村=は「いてもたってもいられず、昨日から辺野古に来ている。砕石の投入は長い工事過程のうち、一つの節目だと思うが、これからも抗議を続けていきたい」と話した。「辺野古の問題は沖縄だけの問題でなく、全国の問題だ。多くの人がゲート前に来てほしい」と呼び掛けた。

 

<社説>辺野古護岸着工へ 埋め立て承認撤回する時だ   2017年4月25日

 政府は、米軍普天間飛行場の移設先とする名護市辺野古の新基地建設で、埋め立て本体工事の第一段階となる護岸工事に着手する意向だ。

 3月末に岩礁破砕許可の期限が切れたにもかかわらず、沖縄防衛局は無許可状態で工事を強行してきた。県は護岸工事によって、土砂の投下やしゅんせつなどの行為があれば岩礁破砕行為に当たるとみている。

 菅義偉官房長官は「日本は法治国家」と繰り返している。ならば違法行為に当たる護岸工事の着工を中止すべきである。一方、翁長雄志知事は、大量の石材などが海底に投じられ現状回復が困難になる護岸工事を許さず、埋め立て承認の撤回を決断する時だ。

 護岸工事に向け防衛局はこれまで、米軍キャンプ・シュワブの浜辺で、護岸用の石材を運搬する車両やクレーンが通行する「付け替え道路」の敷設を進めてきた。先週末までに汚濁防止膜を海中に広げる作業を終えた。うるま市長選挙も終えたことから、工事に踏み切ることにした。

 護岸工事は石材を海中に投下し、積み上げて埋め立て区域を囲む。埋め立て区域北側の「K9」護岸の建設から着手する。一部護岸ができ次第、土砂を海中に投入する埋め立ても進める。

 政府は地元漁協が漁業権放棄に同意したことをもって漁業権が消失し、岩礁破砕の更新申請は必要なくなったと主張する。これに対し県は、漁業権は公共財であり知事がその設定を決定するもので、漁業権を一部放棄する変更手続きには、地元漁協の内部決定だけでなく知事の同意が必要だとして、国の岩礁破砕許可の申請義務は消えていないと主張し、双方平行線をたどっている。

 仲井真弘多前知事の埋め立て承認書に留意事項が付いている。第1項で「工事の実施設計について事前に県と協議を行うこと」を義務付けている。このため県との協議なしに本体工事を実施できないはずだが、政府は一方的に協議の打ち切りを通告した。

 これが「法治国家」といえるだろうか。留意事項に違反した国に対して、知事は埋立承認権者として承認を撤回できるはずだ。

 知事選で圧倒的多数の信任を得た辺野古新基地阻止の公約を実現するため、承認撤回のタイミングを逃してはならない。

国、辺野古移設で県の指導応じず  2017年4月25日

辺野古新基地建設を巡り、沖縄県は沖縄防衛局に対し、事実確認やその間の作業中断を求める行政指導をしてきたが、防衛局は応じないまま作業を続行してきた。

 県は前知事による埋め立て承認の留意事項に基づく工事の実施設計や環境対策に関する「事前協議」の実施を防衛局に求めてきた。だが防衛局は県の照会に対して、既に十分な回答を重ねたとして事前協議を打ち切り、工事を続けている。県はこうした対応は「留意事項違反」に当たるとしてきた。

 汚濁防止膜を海底で固定するコンクリートブロックの投下行為についても、県は計画の内容が途中で変遷した経緯の説明と、その間の作業中断を求めてきたが、防衛局は投下を続けた。

 3月末には県から防衛局への岩礁破砕許可が期限切れを迎え、県は更新申請を防衛局に求めた。だが防衛局は現場海域の漁業権が消滅したとして、申請は「必要ない」との認識を示して申請しなかった。

 県は4月以降の岩礁破砕行為は「無許可状態」になると指摘し、工事現場のサンゴ生息状況などを確認する立ち入り調査を求めている。しかし防衛局は自らによる現況調査結果の提供で足りるとして、県の調査での立ち入りも拒んでいる。

知事、護岸工事着手に「暴挙だ」 承認撤回は時期明言せず  2017年4月25日

米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設の埋め立てで、政府の護岸工事着手を受け翁長雄志知事は25日午後、県庁で会見し「事前協議を求めてきたが、防衛局が応じず護岸工事を強行したことは許し難い。サンゴ礁生態系を死滅に追いやる恐れがあり、環境保全の重要性を無視した暴挙だと断ぜざるを得ない」と厳しく政府を批判した。

 県民から要望が高まる埋め立て承認の撤回については「差し止め訴訟も撤回も慎重にあるいは大胆に進めていかなければならない。法的な観点からの検討は丁寧にやらなければならない」と述べ、時期は明言しなかった。

〈連載「強行の海」辺野古護岸着手(上)〉「諦め感」狙う国、県は訴訟へ「違反」積み上げ

2017年4月26日

米軍普天間飛行場移設に伴う辺野古の新基地建設問題は25日、埋め立て工事着手という新たな局面に入った。国は工事進展をアピールし、沖縄県民に諦め感が広がることを狙うが、県内では「(政府は)既成事実に躍起」(翁長雄志知事)などと着工を冷静に受け止め、引き続き建設阻止へ団結しようとする空気が強い。県は今後、岩礁破砕行為が確認された時点で工事差し止め訴訟を提起する構え。一方の国も工事の手を緩める構えはない。双方一歩も引かぬ状況で再び法廷闘争に突入する見通しだ。

■政治生命

 砕石の投下は、埋め立て工事の第一段階となる護岸工事の初期作業だが、関係閣僚は「埋め立て本体の工事開始」(菅義偉官房長官)、「本体部分に当たる護岸工事」(稲田朋美防衛相)と飛行場本体に着手したと強調し、後戻り不可能な状態に突入したとの印象を前面に打ち出した。国が前進にこだわるのは首相官邸の強い思いがあるからだ。

 「俺は辺野古に政治生命を懸けている。そのつもりで説明を」。護岸工事の着手を説明するため官邸を訪れた防衛省幹部を前に菅氏は迫った。防衛省は当初、準備状況なども踏まえ5月上旬を想定していたが、菅氏の言葉を受け4月中の着手を探り始めた。

 政府が早期着手に踏み切ったのは、あらゆる手法で工事を阻止する構えを崩さない翁長知事による対抗手段を封じるのが狙いだ。防衛省幹部も「工事は進む。今後は知事が何をやるかだ」と警戒感を示す。そのため、工事着手による影響を懸念していた23日のうるま市長選の後で、米軍属女性暴行殺人事件の発生から1年となる28日を避ける日程が組まれた。

■始まったばかり

 県は護岸着手を受け、工事差し止め訴訟に向けた準備を今後本格化する。翁長知事が「暴挙だ」と、工事強行を激しく批判した直後、県の事務方は国によるその事例の数々を取材陣に説明した。

 事前協議の一方的終了、サンゴ分布資料に残る多数の疑問、汚濁防止膜設置方法の不十分さ―。汚濁防止膜の設置に関しては、那覇空港の工事現場での汚濁防止膜の図面も示して辺野古の不適切さを強調した。着実に国の「違反」事例を積み上げつつ、1~2カ月後にも予定されるしゅんせつや、くい打ちという明らかに岩礁破砕を伴うとみられる作業着手をにらむ。

 しかし、海の埋め立てという重大局面を迎えてもなお「埋め立て承認撤回」に踏み切らない知事に、この日の会見では「危機感は」と問う声も出た。知事は「県民もイライラするでしょうし、不安にもなるだろう。でも決してマイナスの面では考えてはいない。前向きに議論している」と理解を求めた。そして「護岸工事は始まったばかり。二度と後戻りができない事態にまで至ったものではない」と奮い立たせるように言った。

 「県民は知事を、知事は県民を、互いに信じ合うしかない」。知事側近は、今後も続く国との戦いを乗り越えるには県民が一枚岩になることが不可欠だと強調した。「国は国家権力で今後も県民の分断を図ってくる。県民ができること、知事ができることを両輪でしていくしかない」と力を込めた。(仲井間郁江、仲村良太)

<社説>4・28「屈辱の日」 ひるまず自己決定権行使を  2017年4月28日

1952年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約によって日本は独立し、沖縄は奄美、小笠原と共に日本から切り離された。

 講和条約第3条によって、米国は日本の同意の下で、他国に介入されることなく軍事基地を自由に使用することができた。米軍は沖縄住民の基本的人権を無視し「銃剣とブルドーザー」によって農地を奪い、東アジア最大の軍事基地を建設した。まさに沖縄にとって「屈辱の日」である。

 沖縄は4・28を「屈辱の日」と記憶し、自己決定権の回復を求めてきた。現在、安倍政権は選挙で示された民意に反して名護市辺野古の新基地建設を強行している。今ほど露骨に沖縄の自己決定権がないがしろにされている時期はないだろう。過去に学び、未来のために、露骨な強権にひるまず毅然としてはね返そう。

 講和条約発効から65年たっても、事件・事故、騒音被害、環境汚染、人権侵害などの基地問題が解決しないのはなぜか。

 基地問題を引き起こしているのは米軍の沖縄駐留であり、不平等と指摘される日米地位協定である。日本政府は日米地位協定の抜本改定を米国に求めないため、基地問題は解決されずに、県民に被害を与え続けている。

 一方、沖縄を除く日本の米軍基地は1970年代後半までに大幅に削減され、反米ナショナリズムの象徴となっていた基地問題がほとんど解消した。そして相対的に沖縄への基地の集中度が高まったのである。

 琉球新報が5年に1度実施する県民意識調査結果(今年1月1日発表)をみると、「日本における沖縄の立場」を問う質問に対し、独立を含め、内政、外交面で沖縄の権限を現状より強化すべきだと考える人が約35%に上った。一方「現行通り、1地域(県)のまま」とする回答は前回から17・7ポイント減って過半数を割る46・1%となった。

 安倍政権が、沖縄を他府県と同じように公平に扱わないので、県民は自治権の強化を求めているのではないだろうか。

 沖縄を犠牲にし屈辱を与えることで成立する日米同盟は永続しない。安倍晋三首相には米国一辺倒を改め、沖縄を他地域と同様に公平に扱い、沖縄の自己決定権を認めるよう求める。それでこそ真の独立国と言えるだろう。

「屈辱の日」と天皇メッセージ 沖縄切り捨て、差別の原点  2017年4月28日

ソ連侵攻の防衛線に 昭和天皇 48年、2度目のメッセージ

 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効してから28日で65年となった。敗戦後、連合国軍の占領下にあった日本は条約発効で独立を果たしたが、沖縄や奄美は日本から切り離された。その原点は昭和天皇が米側に対し「25年から50年、あるいはそれ以上」沖縄を米国に貸し出す方針を示した天皇メッセージだ。

 米政府側が終戦直後に日本の占領政策を策定するさなかの1947年9月、沖縄の米軍占領継続の希望を伝えた昭和天皇の沖縄メッセージに加えて、翌48年2月に2度目の"天皇メッセージ"といえる考えが天皇側から米軍側に伝えられていた。皇室と連合国軍総司令部(GHQ)との連絡係を務めた宮内府御用掛の寺崎英成氏が、ソ連の侵攻に備え「琉球」を含む日本列島からフィリピンを防衛前線とする考えを米側に伝達していた。

 共産主義国家による侵攻を懸念し、反共の観点から「日本」を守るとりでとして沖縄の軍事基地化を提案し、さらに「日本」の防衛を米軍に委ねるという施策を積極的に展開していた「天皇外交」の姿が浮かび上がる。

 寺崎氏は、GHQのウィリアム・シーボルト外交局長に対し「南朝鮮、日本、琉球、フィリピン、そして可能ならば台湾を米国の最前線地域として選ぶ」のが現実的施策だとする考えを米側に伝えた。

 寺崎氏の提案を受けシーボルト氏は、米本国への電文で「寺崎氏の個人的見解を示しているにとどまらず、天皇を含む多くの有力な皇族との議論に基づくものと考える理由がある」と説明し、天皇側の意向を反映したものだとの認識を示した。

 

「それでも私たちは屈しない」 県民集会に3千人【決議全文掲載】

2017年4月29日

名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前で29日午前11時から開催された「辺野古新基地建設阻止!共謀罪廃案!4・28屈辱の日を忘れない県民集会」には約3千人(主催者発表)が参加した。集会最後には「普天間基地の『国外・県外』移設の要求は無視され続けている。それでも私たちは屈しない」との決議を採択するなど、抗議の声を上げ建設阻止を誓った。【下記に集会決議全文】
 主催者を代表して県憲法普及協議会の高良鉄美会長は「屈辱の思いを忘れずに、辺野古新基地建設を造らせないために頑張ろう」と呼び掛けた。そのほか稲嶺進名護市長、山城博治沖縄平和運動センター議長、国会議員らが登壇し、連帯を訴えた。
 集会に参加したうるま市の島袋清正さん(72)は「沖縄は『屈辱の日』という悔しい目に遭い、復帰後も基地は減らず事件事故が続いている。だが集会にこれだけの県民が集まった。必ず新基地建設を止めることができる」と力を込めた。

辺野古新基地建設阻止!共謀罪廃案!4・28屈辱の日を忘れない県民集会決議
 安倍政権は、県民の民意を踏みにじり、4月25日、辺野古・大浦湾の美ら海を埋め立てる護岸工事を強行した。
 あの「屈辱の日」、日米講和条約から65年を経て、本土復帰から間もなく45年がたとうとしている。この間、沖縄は、日米政府に何度民意を踏みにじられ、切り捨てられただろうか。
 1963年、ときの高等弁務官キャラウェイが述べた「沖縄住民による自治は神話にすぎない」との言葉に象徴されるように、本土復帰前の沖縄では、占領者たる米軍が暴政の限りを尽くした。復帰後、日本政府も同様に、沖縄県民の自治権、民主主義、基本的人権をないがしろにしてきた。
 普天間基地の全面返還合意からすでに21年が経過した。この間、各種選挙、県議会・市町村議会の決議、平和団体による各種の県民大会、県民集会等において、辺野古新基地建設NOの揺るぎない民意を示し続けているが、普天間基地の「国外・県外」移設の要求は無視され続けている。
 政府による工事強行、それを追認する司法、三権一丸となって沖縄に襲いかかっている。
 安倍政権は、憲法に基づく県民の「表現の自由」を陸では機動隊に、海では海上保安庁にと、警察権力を総動員してねじ伏せている。政府による県民弾圧が繰り返された結果、今や不当に逮捕された仲間は30人にのぼる。もはや、この国は安倍総理による独裁国家と言っても過言ではない。
 それでも私たちは屈しない。護岸工事が始まろうともまだほんの一部にすぎない。新基地建設を止める。サンゴやジュゴンの生きる美ら海を守る。その運動は、全国に全世界に広がっている。
 安倍政権は、過去に3度も廃案となっている「共謀罪」を、東京オリンピック・パラリンピックの名の下に「テロ等組織犯罪準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案として国会に提出し、野党の反対を押し切って衆議院で審議している。話すことすら罪になるとされるこの「共謀罪」法案は、現代版「治安維持法」とも言われる。
 法案が成立すれば、警察権力による通信傍受や会話傍受も認められ、平和や人権問題に取り組む市民団体や平和団体、労働組合は、組織的犯罪集団として認定されかねない。このままでは、日本が監視社会へと変貌するのは不可避である。私たちが辺野古新基地建設に反対する、あるいは嘉手納基地の騒音被害に抗議するためゲート前で行動しようと話し合っただけで犯罪者扱いとされる世の中が到来しかねないのである。そればかりか、国策に反対するとして沖縄県民すべてが「共謀罪」対象者と見なされかねない。これほどの人権侵害法案を許してはならない。断固反対し、廃案に追い込もう。
 辺野古新基地建設阻止!共謀罪廃案!4・28屈辱の日を忘れない!
 2017年4月29日 宛先:総理大臣、防衛大臣、外務大臣、駐日米国大使
 県民集会参加者一同

 

沿岸で砕石敷き詰める 辺野古新基地建設  2017年5月1日

米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設工事で、沖縄防衛局は1日午前、キャンプ・シュワブのK9護岸地点の沿岸でクレーンによる砕石敷き詰め作業を続けた。砕石の海中投下は午前11時現在確認されていない。
 建設に反対する市民約60人が米軍キャンプ・シュワブのゲート前で座り込んだ。午前9時50分ごろ、県警の機動隊によるごぼう抜きで市民が排除された。工事車両のトラック16台、クレーン車2台が基地内に進入した。
 市民からは「新基地建設反対」の声が上がった。参加者は「座り込み」と「沖縄今こそ立ち上がろう」の2曲を歌った。
 ヘリ基地反対協議会の安次富浩代表は、土曜日に行われた県民集会の成功に触れ「私たちはこれからも一丸となって現場で闘っていこう。引き続き埋め立て撤回を求めていく」と力強くあいさつした。
 大浦湾ではカヌー7艇、抗議船2隻が抗議行動をした。

 

<社説>辺野古県民集会 沖縄は屈しない、諦めない  2017年5月1日

国が強行する名護市辺野古の新基地建設を阻止するとの強い意思が示された集会だった。米軍キャンプ・シュワブゲート前に29日結集した約3千人(主催者発表)は国の強硬姿勢にノーを突き付け、今後も決して屈しない、諦めないという固い決意を改めて確認した。

 今回は沖縄防衛局がシュワブ沿岸の護岸工事に着手してから初の大規模集会だった。新基地反対に加えて、「共謀罪廃案」「4・28屈辱の日を忘れない」、さらに米軍属女性暴行殺人の被害者への追悼も掲げた。
 いずれも、1952年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約を根源として今につながる地続きの問題だ。
 日本から切り離された後、米施政権下の沖縄では、強権的な基地接収が相次いだ。一方、高度経済成長に走る中で、本土の米軍基地は次々と沖縄に移されてきた。住民の生命や尊厳が奪われた事件・事故をはじめ、騒音被害、環境汚染、人権侵害が繰り返され、今なお解決に至っていない。復帰を境に、抑圧者が米国から日本政府に入れ替わっただけだ。
 集会決議は「政府による工事強行、それを追認する司法、三権一丸となって沖縄に襲いかかっている」と、21世紀の「銃剣とブルドーザー」を厳しく指弾している。
 県民は知事選や国政選挙などで新基地建設反対の意思を何度も表明してきた。その要求を無視し、対話を閉ざして、強大な権力で沖縄をねじ伏せようとしているのが安倍政権だ。法解釈を変えてまでも沖縄には他府県並みの民主主義や人権を許さず、構造的差別と植民地主義を持ち込む。これでは独裁国家かと見まごうばかりだ。
 辺野古の現場では多くの人たちが非暴力の闘いを重ねてきた。その抗議行動を抑圧すると危惧されているのが共謀罪だ。法案が成立すれば、抗議しようと話し合っただけで捜査当局が踏み込んできかねない悪法である。
 政府は「埋め立て工事着手」を大々的にアピールした。「原状回復は困難」との報道も見られるが、現段階ではまだ石詰めの袋を5個置いたにすぎない。実情を知らない大多数の国民向けに「後戻りできない」と印象操作する狙いが透けて見える。
 沖縄は戦後、人権や自治権を求める運動を続け、自らの手で勝ち取ってきた歴史と誇りがある。その不屈の精神は今後も続く。

 

辺野古護岸着工 山城議長「心折れることはない」 東京・憲法集会

2017年5月3

憲法施行70年に合わせた「5・3憲法集会」(同実行委主催)が3日、東京・江東区の東京臨海防災公園で開かれ、5万5千人(主催者発表)が憲法を守り、名護市辺野古の新基地建設撤回や「共謀罪」反対などを誓った。集会には新基地建設に抗議する中、傷害罪などで逮捕・起訴された沖縄平和運動センターの山城博治議長も参加し、連帯を呼び掛けた。

 山城議長は名護市辺野古で政府が着手した護岸工事について「心折れることはない。埋め立てはできない。(政府が)本気で基地建設をするなら、来年の名護市長選、知事選で打ち勝たないといけない」と強調。国会で審議中の「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案については「県民の闘い、全国の仲間の運動をつぶすために用意されるのだろう。力を合わせて葬ろう」と述べた。
 集会には民進、共産、自由、社民の各党幹部が駆け付けた。また、辺野古新基地建設の撤回を求める全国統一署名に関して、既に国会に提出された分も含め140万筆が集まったことなどが報告された。【

浦添市長、開き直り 公約変更に報告会騒然 2015年4月22日

浦添市の松本哲治市長は21日夜、浦添市のてだこホールで後援会主催の市政報告会を開いた。約350人が訪れた。那覇軍港の浦添移設を受け入れる公約変更を表明した翌日ということもあり、質疑は軍港移設問題に集中した。

会場からは「市民に信を問うべきだ」と怒号が上がるなど騒然とした雰囲気に包まれた。一方で松本市長の説明に賛意を示す大きい拍手も送られていた。
 松本市長は、子育て支援など四つの政策について説明したが、特に那覇港長期構想策定についての浦添市案について時間を割いて説明した。報告会は2時間以上にわたった。
 軍港移設の賛否について、翁長雄志知事と城間幹子那覇市長と自身の姿勢を時系列の表にして説明。自身が軍港問題で姿勢が揺れたのは、県知事や那覇市長の発言によるものだと強調した。
 さらに「軍港移設反対を求めるなら、次の市長選で那覇市、県、国、日米両政府を敵に回してでも阻止して見せるという市長を当選させてください」と開き直った。

 

 

砕石の上に鉄板敷く 辺野古新基地建設  2017年5月8日

米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設で、沖縄防衛局は8日午前9時ごろから、米軍キャンプ・シュワブの「K9護岸」建設現場で砕石を積むなどの作業を始めた。
 浜辺にある袋詰めされた砕石の間に袋詰めされていない砕石を敷き詰め、その上に鉄板のような板状の資材を少なくとも4枚を敷いた。海上では新基地建設に反対する市民らが抗議船2隻、カヌー15艇で抗議した。
 一方、米軍キャンプ・シュワブゲート前では約100人の市民らが新基地建設反対を訴えて座り込んだ。正午ごろまでに8台のコンクリートミキサー車を含む28台の工事関係車両が2回にわたってゲート内に入った。その際、市民らは機動隊によって排除された。

 ゲート前に座り込んだ中頭退職教職委員会の玉那覇トミ子会長(81)=沖縄市=は「戦争を繰り返すのは愚の骨頂だ。戦争につながる新基地を許してはいけない」と話した。
 玉那覇さんは戦前、小学校3年生まで皇民化教育を受け、学校の学芸会や運動会で軍歌を歌いながら踊った経験がある。「国のために命を捨てることを強要した皇民化教育は異常だ。その危機感があるからこそ、ゲート前に座って、新基地建設反対を訴えている」と強調した。

「長期戦見据え運動を」 辺野古新基地建設の座り込み

2017年5月9日

米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設で、米軍キャンプ・シュワブの「K9護岸」建設現場では9日午前、網袋に入っていない砕石の投下作業が昨日に引き続いて実施された。同護岸だけでもダンプ9千台分以上の砕石が必要とされており、建設に反対している人々が座り込むゲート前では「長期戦になることを見据え運動をする必要がある」との呼び掛けがあった。
 海上では新基地建設に反対する市民らが抗議船4隻、カヌー17艇で「工事を止めろ」などと抗議した。


IMG_256

新基地の護岸工事で、砕石を波打ち際に投下するクレーン=9日午前、名護市辺野古のキャンプ・シュワブ沿岸

 一方、米軍キャンプ・シュワブゲート前では約50人の市民らが新基地建設中止を訴えて座り込んだ。午前8時50分に砕石と土砂を積んだダンプや生コン車など25台がゲート内に入った。工事関係車両の出入りの際、市民らは計2回機動隊によって排除された。
 沖縄平和市民連絡会の北上田毅さんは「本格的な埋め立て工事と思われるものが昨日から始まったが、K9護岸のだけでもダンプ9千台分以上の砕石が必要だ。長期戦になることを見据え運動をする必要がある」と呼び掛けた。

辺野古「今日が本当の着工」 砕石投下で粉じん、白く濁る海

2017年5月9日

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設に伴う名護市辺野古での新基地建設計画で、沖縄防衛局は8日、辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沿岸部の「K9護岸」に砕石を投下するなどの作業を行った。これまで網袋に入った砕石を護岸に並べていたが、網袋に入っていない砕石を投下する作業が新たに始まった。抗議する市民からは「今日が(護岸工事の)着工だ」との声が上がった。


IMG_256

袋詰めされていない採石が敷かれ、海水が白く濁る工事現場=8日午後5時ごろ、名護市辺野古(小型無線ヘリで撮影)

 K9護岸では作業員が同日午後からダンプで砕石を海岸に運び、クレーンの先のかごに砕石を入れて投下した。少なくとも10回以上は投下し、投下の際には粉じんが舞い上がった。夕方が近づくにつれ潮が満ちてくると、積み上げられた砕石に波が当たり、水しぶきが上がる様子も確認された。
 建設に反対する抗議船船長の相馬由里さん(39)は、網袋に入れていない砕石が海に投下されたことに「海が壊されている。今日が(護岸工事の)着工だ。これまでのものはパフォーマンスだ」と批判した。投下するたびに粉じんが上がるのを見て「海の汚染を防ぐために一度洗ってから持ってくることになっていたはずだ。洗っていないのではないか」と疑問を呈した。
 カヌーで海上から抗議する柴田鉄也さん(29)は、間近まで接近して投下を確認した。大きい石は長さ1メートル程度だったという。「これまでの作業の延長だと思っていたら、いきなり投下したので驚いた」と話した。
 陸上のシュワブゲート前では新基地建設に反対する市民ら約100人が座り込んだ。8台の工事関係車両が3回にわたり計45台、基地内に入った。

復帰76%評価、知事支持67% 沖縄県民世論調査、辺野古反対74%、基地「不平等」は70%

2017年5月9日

 

沖縄が日本に復帰して15日に45年を迎えるのを前に、琉球新報は8日までに電話による県民世論調査を実施した。復帰して「とても良かった」「どちらかと言えば良かった」との回答は計75・5%に上った。復帰を評価する声が4分の3を占めたが、5年前の前回調査からは4・5ポイント低下した。
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について、県外・国外移設や即時撤去を求める回答は計74・1%で、名護市辺野古の新基地建設を容認・推進する18・0%を大きく上回った。

 復帰して良かった点(三つまで回答)は「本土との交流や情報量が増えた」50・5%と「道路や橋、港湾などが整備された」50・0%が並び、「医療福祉が充実した」40・7%、「教育が充実した」32・4%、「生活が豊かになった」20・2%と続いた。「米軍基地の被害が減った」と回答したのは4・0%だった。
 一方、復帰して悪くなった点(三つまで回答)は最も多かったのが「米軍基地の被害が増えた」43・7%。「自然破壊が進んだ」36・2%と「物価が高くなった」36・0%が並び、「伝統・文化が薄れた」22・9%、「離島などの過疎化が進んだ」21・1%と続いた。
 国や県に取り組んでほしい施策(三つまで回答)は「米軍基地の整理縮小と跡利用」44・6%が最も多く、「観光産業の振興」31・1%、「社会福祉の充実」28・0%、「教育文化の振興」27・3%が上位だった。
 米軍基地が沖縄に集中する現状を「不平等だと思う」が70・0%で、現状を是認する「やむを得ない」の24・7%を大きく引き離した。
 日米地位協定の在り方について、「抜本改定すべきだ」が43・3%、「運用改善にとどめるべきだ」25・8%、「日米安保条約とともに破棄すべきだ」17・1%と続いた。「現状のままでよい」は8・4%にとどまった。
 翁長雄志知事については「支持する」66・7%、「支持しない」19・3%、「分からない」14・0%だった。

<社説>復帰県民世論調査 政府への不信を表明した 基地負担の不平等改めよ 2017年5月10日

「日本は帰るべき祖国だったのか」という疑念が県民意識の奥底に広がってはいないか。
 復帰45年を迎えるのを前に琉球新報社は県民世論調査を実施した。復帰して「とても良かった」「どちらかと言えば良かった」は75・5%で、5年前の前回調査より4・5ポイント低下した。
 復帰評価の下落は、復帰を知らない世代が増えたこともあるが、沖縄に対する専横を改めない日本政府に原因がある。その政府を容認する国民全体への不満も影響した。
 復帰後も続く沖縄差別への憤りが復帰評価を下げた。政府への不信が本調査に表れている。

民意無視に厳しい評価
 2007年に本紙が実施した復帰35年世論調査では、復帰して「良かった」と答えた人は82・3%だった。12年の復帰40年調査では80・0%である。復帰に対する評価は10年で6・8ポイント下落している。復帰評価の下落傾向を軽視してはならない。
 復帰後の沖縄振興施策によって社会資本整備が進んだ。医療・福祉、教育面で県民の生活水準は向上した。県外との交流も進んだ。今回の調査でも県民はこれらの点を高く評価している。
 復帰によって多くの県民が豊かさを獲得したのは事実だ。しかし、基地との共存を強いられ、基地被害や人権侵害の不安を抱えているのも事実だ。
 今回の調査で「復帰して悪かったこと」を聞いた設問で43・7%の人が「米軍基地の被害が増えた」と回答した。「国や県が力を入れて取り組んでほしい施策」として44・6%が「米軍基地の整理縮小と跡利用」を挙げた。いずれも最多である。
 在日米軍基地の7割が沖縄に集中している現状に対しては70・0%が「不平等」と答えた。これらの数値は県民が求めた復帰の理想が今も実現していないことを反映するものだ。
 米統治に抵抗した復帰運動で、県民は県民の生命・財産を脅かす米軍基地の撤去、基本的人権を保障する日本国憲法の沖縄への適用を求めた。
 しかし、復帰から今日までの45年間、日本政府は日米同盟を優先するあまり、県民要求を軽んじた。政府が強行したMV22オスプレイ配備、辺野古新基地建設はその最たるものである。
 憲法が定めた「法の下の平等」が沖縄には適用されていない現実に県民は失望している。特に米軍基地の集中について10代の若者の過半数を超える53・3%が「やむを得ない」と答えた。若者世代に失望やあきらめが広がっている。憂慮すべき事態だ。
県民の要求直視せよ
 県民の多くは政府の差別的な姿勢に反発し、日本本土の国民との断絶を実感している。このような現状を放置することは沖縄、日本全体にとって不幸なことだ。政府はいま一度、復帰における県民要求を直視しなければならない。
 当然、政府は辺野古新基地の建設を断念すべきだ。本調査で74・1%が普天間飛行場の県外・国外移設、即時撤去を求めた。新基地建設の容認・推進を支持した人は18・0%にとどまっている。
 基地撤去と人権の尊重を求めた復帰運動の帰結が新基地建設であってはならない。政府は米統治下にあった沖縄の苦悩、復帰運動で掲げた要求、今日の沖縄の民意と正面から向き合うべきだ。
 1971年5月21日、沖縄返還交渉に対する最終要請で基地の整理縮小を求めた屋良朝苗主席に対し、佐藤栄作首相は「本土の(基地)負担を沖縄におわす様な事はしない」と約束した。基地の自由使用についても「米軍の勝手にはできまい」と答えている。復帰後の核再持ち込みも否定した。
 佐藤首相の約束は守られないまま沖縄は復帰を迎え、安倍政権は今日、新基地建設を強行している。県民はそのような非道を許さない。復帰45年世論調査はそのことを明確に示している。

 

「非武装中立の沖縄を」 自己決定権の会が発足  2017年5月13日

政治団体「命どぅ宝!琉球の自己決定権の会」が13日午後、発足した。浦添市社会福祉センターで同日開いた設立総会で「国連や国際社会に依拠し、東アジアに開かれた非武装中立の琉球・沖縄を創造する」などとする設立宣言を発表した。名護市辺野古への新基地建設や先島への自衛隊配備に反対し、自己決定権の確立に向けて活動する方針も確認した。
 設立宣言は1879年の琉球併合や1945年の沖縄戦、72年の沖縄施政権返還、現在の米軍基地問題などを挙げて「歴史に学び、自己決定権(脱植民地化)を行使し、現状を打破しなければならない」などとしている。同会は7月の那覇市議選などに候補者を擁立する。

基地なき沖縄実現を 県民大会に2200人 きょう復帰45年  2017年5月15日

基地なき沖縄実現を 県民大会に2200人 きょう復帰45年

2017年5月15日 06:30

 

基地建設阻止を訴え、ガンバロー三唱で気勢を上げる県民大会参加者ら=14日、名護市瀬嵩

 沖縄が日本に復帰して15日で45年の節目を迎えた。県民が望んだ基地のない沖縄はいまだ実現していない。政府は米軍普天間飛行場の移設に伴い、名護市辺野古に新たな基地建設を強行している。その建設現場を間近に見渡せる名護市の瀬嵩海岸で14日、「復帰45年 5・15平和とくらしを守る県民大会」(5・15平和行進実行委員会、沖縄平和運動センター主催)が開かれた。平和行進の参加者ら約2200人(主催者発表)が新基地反対などを訴え、拳を突き上げた。

大会実行委員長の山城博治沖縄平和運動センター議長は「われわれは負けない。全県下の基地建設、戦争への道を許さない。先島の仲間と共にスクラムを組んで平和を守っていこう」と訴えた。
 稲嶺進名護市長は新基地建設を強行する政府の姿勢に触れながら「沖縄、日本に民主主義と地方自治を取り戻す。その闘いを今、この瀬嵩の浜から訴えていきたい。辺野古の海に新しい基地を造らせない。信念を持って貫いていきたい」と述べ、全国の支援と連帯を呼び掛けた。
 大会宣言は、宮古や八重山で自衛隊配備が進む動きに触れ「日米両政府によって推し進められる米軍、自衛隊基地の強化、拡大に強く反対する」とした。
 参加者は最後にガンバロー三唱で気勢を上げ、市大浦の「わんさか大浦パーク」まで約2キロを行進した。

 

長期勾留の山城議長、国連で証言へ 来月の人権理事会

2017年5月14日

東村高江周辺での基地建設を巡る反対運動中に逮捕され、5カ月間にわたり長期勾留されていた沖縄平和運動センターの山城博治議長が、6月中旬にスイスのジュネーブで開かれる国連の人権理事会で、沖縄で表現の自由が侵害されている実態などについて発言する方向で調整している。15日にも理事会出席を裁判所に申請する。昨年4月に来日した、表現の自由に関する特別報告者デイビッド・ケイ氏が人権理事会へ日本に関する報告を出すのに合わせて証言する。

 スピーチは約2分間。山城議長は「人権を無視し、基地建設を強行する政府を止めるためにも、私が受けた逮捕、拘束は政府による不当な弾圧であることを訴えたい。また日本国内では報道の自由も侵害されている現状も併せて話したい」と語った。
 沖縄国際人権法研究会(島袋純、星野英一共同座長)がケイ氏に働き掛けていた。
 山城議長の報告と併せて沖縄国際人権法研は複数の非政府組織(NGO)と共に、沖縄で表現・報道の自由が侵害されていることを訴えるシンポジウムを同じジュネーブで開催することも計画している。

日本復帰あす45年 奄美出身、苦難の歴史 米統治下、「非琉球」で差別

2017年5月14日

沖縄が「日本復帰」を迎えた1972年5月15日は、戦後沖縄に移り住んだ奄美の人たちにとって「非琉球人」と呼ばれた立場から解放された日でもあった。53年12月25日の奄美群島の復帰後、生まれ島を思い、3万とも5万とも言われる人々が米統治下の沖縄を生きた。当時の身分は「外国人」。沖縄住民との差別に耐え"二度目の日本復帰"を待ち望んだ。

◇「半永住」を許可

 

在留許可証明書を手に当時の思いを語る青山恵昭さん=4月20日、浦添市

 「NO.31649」。青山恵昭さん(73)=浦添市=の手元に残る「在留許可証明書」には高等弁務官によって「半永住」を許可された際の登録番号が記されている。青山さんは台湾で生まれ、戦後鹿児島県への引き揚げを経て母親の古里、国頭村に移った。父の故郷は与論島で青山さんの本籍地も「鹿児島県大島郡与論村」。本籍地が沖縄ではないために外国人扱いされ、在留許可証明書の携帯が義務付けられた。
 高校生の頃、母親が入院し家計が苦しくなった。生活困窮家庭への「救済」制度や授業料免除を申請したが、受け付けた区長から「非琉球人なので、資格はない」と断られた。青山さんは72年5月15日を「『非琉球人』の立場から解放されて同じ国民になれる喜びを感じていた」と振り返る。
 青山さんは2013年、政府が「主権回復の日」の式典を開いた時に「沖縄を切り捨てて、何が『主権回復』かと怒りが沸いた」と語る。米施政権下で日米に翻弄(ほんろう)された歴史を抱えながら、今は沖縄の不条理を目の当たりにしている。

◇住民に損得勘定

 53年8月8日、訪日中だったダレス米国務長官の声明で奄美復帰は突然決まった。奄美群島では喜びに沸いたが、在沖の奄美出身者は政治、行政、経済など各界の要職から追放された。納税しても、投票権すら68年まで与えられず、沖縄住民と明確に差別され続けた。現実が重くのしかかる中、重荷に拍車をかけたのは沖縄住民の視線だった。
 「この際お気の毒ではあるが、沖縄自体の暮らし向きのために日本に引き取ってもらいたいという強硬論者がいる」(53年8月20日付、琉球新報)。戦後8年間、「同胞」として復興に共に尽くした奄美の人々に対して損得勘定を隠さない、沖縄住民の冷たく、貧しい雰囲気も漂っていた。

 

◇各地の郷友結集

53年12月1日、在沖奄美連合会(現・沖縄奄美連合会)が各地にあった地区奄美会を束ねる形で結成された。連合会は親睦や融和が目的だが、復帰まで処遇改善の相談が絶えなかった。
 沖縄奄美連合会の奥田末吉会長の家には59年に在沖奄美連合会が出した「奄美人名鑑」の複写が残されている。作成経緯は不明だが、奥田さんは「みんな故郷に飢えていた。抱える問題を共有して助け合おうという気持ちがあったのだろう」と思いを巡らせる。現在、奥田さん自身も奄美出身者の調査を続けている。奥田さんは「苦労をした人たちの思いを受け継ぎ、次代につなぐことが私の役目だ」と力を込める。(池田哲平)

 

辺野古で市民排除にはさみ 県警、もみ合う中ひも切断  2017年5月16日

米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古での新基地建設工事で15日午前、米軍キャンプ・シュワブのゲート前で座り込み建設反対を訴える市民らに対し、県警機動隊がはさみを取り出し、隣り合う市民同士が腰に巻き付けていたひもを切って排除した。大勢の市民と機動隊員がにらみ合い、激しいもみ合いが発生するなど混乱した現場で警察側が刃物を使用したことに批判の声が上がっている。

 

砕石押し固める 辺野古新基地建設

2017年5月17日

米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設工事で17日午前、沖縄防衛局は米軍キャンプ・シュワブの沿岸を埋め立てる「K9護岸」工事現場で、砂浜に敷き詰めた採石を重機を使って押し固める作業を継続した。また積み上げた採石の高さを測るなどの調査も実施した。長島付近のスパッド台船では大浦湾海底の掘削(ボーリング)調査を行う様子も確認された。市民は抗議船2隻、カヌー10艇で抗議した。
 一方、シュワブゲート前では、建設に反対する市民約120人が雨の中座り込んだ。県内外から訪れた市民は「沖縄に200年も耐用できる基地は要らない」などと訴えた。ギターやトランペットの演奏に合わせ「沖縄 今こそ立ち上がろう」や「沖縄を返せ」をリズムに合わせて踊ったり、手をたたいたりして新基地阻止の思いを込め、力強く歌い上げた。午後0時半現在、基地内への工事資材搬入はない。【